春休みの間

実家に帰っていました。
こっちに戻ってきたのは先週の土曜日。

実家に帰ってる間は休みなのに、学校に行ってる時より
規則正しい生活を送るというわけのわからないことに。
朝は5時45分には起き、父親を駅まで送り、
帰ってきたらペロの散歩に行って、朝食。
その後は適当に過ごすという毎日。
必然的に朝早いと夜寝るのも早くなる。

とりあえず、久しぶりにペロと長いこと一緒にすごせたんですが、
以前に比べて異常と言えるほど、水を飲む。
そして、おしっこをする。
本来なら医者に見せた方がいいんだろうけど、年も年だし
今のところ苦しんでいるわけでもないのでこのままで行こうと思っている。
やっぱり年を取ると、色々と爆弾を抱えてしまうね。
散歩も親いわく、よたよたしているらしいし。
自分はそんな感じはしなかったんだけどなあ。

とりあえず、いっぱいもふもふしておきました。
冬の毛はふかふかしていて気持ちい。
今回は風呂に入れて上げられなかったけど、夏は風呂に入れる。
絶対。

再び

ネトゲ復帰しようかと思っています。
うまい時間潰しがみつからず、特にやりたいゲームがないのが理由。
けど、学校がどんな時間になるかわからないのがね……。

そういえば、実家に戻る前に本を本棚に整理して行ったんだけど、
新しく買った本を持って帰ってきたら、行く前とあんまり変わらない状況。
やっぱり、本棚の増設を考えるしかないのかな。

信仰?願望?

タイ人はいっぱいお守りを持っている。
今はどうなのか、実際本当にそうなのかは
わからないけれど、小学生の頃に行った時はそうだった。
首にも、腕にも、足にも、車の中やバイクとあらゆる物に
お守りをつけていた。

何のお守りなのか聞くと、それぞれ意味が違う。
日本は物にそれぞれ神様がいるという考え方があるけれど、
タイの人はそれぞれのことに対してお守りが必要だった。
習慣なのか、宗教なのかはわからないけれど、小さい自分にとっては
印象的なことだった。

話は変わるけれど、自分にとってアクセサリーって、まじないめいたものなんだ。
ファッションとしてつけている人が多いだろうけれど、自分にとっては
身近な場所に、人目に触れることで無意識だけれど、自分の中に
込めた意味を留めたい。
それは大きく分けて2つになると思う。
1つは神頼みのような、思い込み。
宗教のほうが近いのかもしれないけれど、逃げ場所を作る。
今のところ逃げる理由なんて何もないけれどね。
2つ目は自分の抑制。
自分が望むよりよい方向への為に、自分の衝動に打ち勝つために。

どちらにしろ自分以外、物に対する何かしらの思いなんだろうけれど。
自分なりの軸を持つ、ぶれないようにするための羅針盤のようなものかな。

男だから当たり前、という考え方もあるだろうけれど、
自分は今、一切、アクセサリーを身につけていない。
今まで自分に大きな疑問を持たず、軸を決める必要もなかったからね。
だけれども20という区切り、大学の折り返しということも考えると
そろそろ自分の軸を持たないといけないのかなと思う。
実際には、それ以外の理由が大きいわけだけれども、人には言いたくない。
色々と考えた末に、物も人も集めた上で、行動を起こしたわけだけれども諦めた。
こういう考え方を人の前で話したことはないけれども、
装身具って話だけでも、身の回りにはアウトな人が多い。

自分を安定させるためのものなのに、周りを不安定にしては意味がない。
別な方法で……とも思ったけど、今の状態で次に移れば
別な意味の誤解を受けそうで怖い。

しばらく前だけど

車が直って戻ってきました。
やっぱり、車があると行動範囲が一気に広がりますね。
特に、駅まで行くのが面倒くさい自分にとって、
直接行きたい場所に行けるのは大きいです。

雨も、雪も、寒さも関係ない。
出かけるのを躊躇させるのは、やる気と費用のみ。

明日、さいたま市のほうに一旦帰る気でいますが、
電車乗って帰るのが面倒くさい。
寒そうだし。
雨降りそうだし。